WWN ニュースレター 2009年4月6日発行 ④
昭和シエル石油との15年裁判が終わった
野崎光枝(昭和シェル石油男女賃金差別裁判原告)
2009年1月22日最高裁判所第一小法廷は、私と会社双方の上告の棄却を決定した。それにより2007年6月28日の東京高等裁判所の判決が確定した。
時の移ろいは早く、割り切れない私の心を置き去りにして動いてしまっている。むしろ高裁判決の日から動き出していたというべきか。しかしそのときはまだ最高裁判所上告という選択肢はあった。最高裁で棄却となったいま、もう日本国内では苦情を持ち込む場所は無いということだ。壁に囲まれたと感じた。突き崩すすべの無い壁。怒りの矛先も見えず、出口なし。
「日本の女性差別をなくす闘いの中で意義ある勝利です」「後に続く働く女性たちの闘いのために道を拓いてくれた」「おかげで昇格する女性が増えた」・・・ 「勝利」を祝ってくれる声は多い。そのこと事態は悪いことではないし、私にとって名誉なことであり喜びと言えなくはない。しかし私はもっと単純に差別によって貶められた私自身の名誉を回復したかっただけなのだ。それがかなわなかったいま私には「勝利」は見えない。
2007年6月28日高裁判決文は差別意識にあふれていた。これでは駄目だと思った。本来であれば、男女間賃金格差は労働基準法4条違反として是正されるべきものだが、会社は、訴訟になっても男女別に管理してきた賃金表を出さず、差別は無かったと言い続け、地裁での完敗後に初めて「目さきを変えて探したらあった」などといって資料を差し出し、それでも差別ではないと延々と争い続け、そのため裁判には長い時間がかかり大きな犠牲を払わなければならなかった。
私は1951年に昭和石油に入社し、(85年に昭和石油はシエル石油と合併して昭和シエル石油となった)1992年までの40年間働いた。入社後5年間は株式課での証券受付関係事務、20年間を和文タイピストとしての業務、その後の10年間は英文タイピスト兼コンピューター端末によるデータ伝送・国際テレックスオペレーターなど、最後の5年間は、当時はまだ会社に一台しかなかったパソコンを定着させる努力に使った。
高裁判決では、この和文タイプを「特殊な技術と集中力を要求され、誰でも出来るものではないが、与えられた原稿のとおりにタイプするもので、判断や他者との交渉、折衝、調整などが要求されるものではなく、習熟するのに一定の期間と努力をようするが、それを取得した後は、職務の遂行上、集中力、注意力の維持は必要であるが、困難性は高くない」として対象とした男性社員(テレックスオペレーター)との資格および賃金の差を妥当とした。
これでは男女差別は全く改まっていない。その上和文タイプのみを「特殊職」として低い身分であるかのように表現している。この判断は、私が陶冶してきた職能と人格を差別によって貶めるものである。和文タイプも英文タイプもテレックスオペレーターも特殊職とするのではなく、職務評価も無しに和文タイプのみを特殊職とすることに合理性のかけらもない。
また、私がもっとも怒りを感じた合併時の資格については、200万円の慰謝料をつけながら、あるべき資格としては当時52歳だった私に対して男性ならば20歳代で通り過ぎる資格しかみとめなかった。私は差別是正を求めて提訴したのだから差別的な判断を認めるわけにはいかない。
高裁判決には、「被控訴人がもっと早く訴訟を提起し、同訴訟の中で民事訴訟法にさだめられた法的な制度、手続きをして、控訴人から資料等の開示を求めることも充分可能であった」とも書かれていた。これが一般市民、労働者にあてはまるだろうか。あまりにも市民感情から遠い託宣ではないか。その上、提訴まえの公的機関への斡旋依頼期間さえも時効の計算に入っていないのだ。