<2008.10.25>
「第6次日本政府レポートは日記ですか?」 越堂
今年4月、日本政府は第6次女子差別撤廃条約実施状況報告を女性差別撤廃委員会(CEDAW)へ提出しました。条約の批准国は4年に一回、条約の遂行状況を報告する義務があります。
9月10日、WWNは第6次レポートを学習・検討し、参加者から次のような感想がありました。
● 2003年のCEDAW勧告に照らしてどうなのか、という観点がみられない。
● まるで、日記のよう。「均等法を改正した。パート法改正した」と単に羅列して自慢している。
● 非正規社員1700万人のうち70%が女性という実態が浮かび上がっていない。
● 具体的なデータや数字的な報告がまったくない。
● NGOへの説明会に100人の参加者と述べるだけで、NGOの意見や実態をどう反映したのか、記述がまったくない。
これらの意見を参考にして、WWNは、目下、政府にむけての質問状を作成中です。
NGOがバラバラに質問事項や要請文を持ってくるのではなくNGOでまとめてほしいという国連の要請があり、NGOの意見のまとめ役として、国際女性の地位協会などのよびかけで、2002年に、JNNC(日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク)が発足しました。第6次報告書のすべての項目(女子の能力開発、偏見および慣習等の撤廃、保険、農村、婚姻および家族関係の差別など)につき、各NGOから質問のドラフトを集約し、11月にジュネーブで開催されるCEDAW作業部会へ提出となります。
WWNの担当は、CEDAW条約の第11条(雇用の分野のおける差別の撤廃)1.男女雇用機会均等確保対策の推進 の項目です。
また、WWNは、今年3月のILO条約勧告適用専門家委員会からの個別意見にて要請されている、「同一価値労働同一賃金の立法化」と「客観的な職務評価の構築」について、特別ミッション隊としてジュネーブに参加し、パリのOECD(経済開発機構)へもレポートを提出します。
日本政府レポート審議は下記の日程で行われます。
① 2008年11月10日
CEDAW委員会 作業部会(於:ジュネーブ)
② 2009年7月10日~8月7日
第6次日本政府レポート審議会(於:ニューヨーク)
※6次女子差別撤廃条約実施状況報告は下記よりご覧いただけます。
(内閣府/男女共同参画局/国際的動向 http://www.gender.go.jp/teppai/6th-report_j.pdf)
★CEDAWへのロビイングを振り返って★
この機会に、CEDAWの日本政府レポート審議会とWWNのロビイング物語を少しご紹介しましょう。
日本がCEDAW条約を批准したのは1985年です。日本側レポート作成の遅れやCEDAW委員会の都合によって、いままでに開催された審議会は3回です。来年の7月は第4回目となり第6次レポートが審議されます。
第1回目の日本政府レポート審議は、1988年でした。「日本は労基法4条で男女差別は禁止している」という第1次政府レポートを読んで私は驚きました。それならば、政府に代わって私たちが実態レポートを作成しようと、「商社に働く女性の会」のメンバーの越堂を含め4名が、コース別の賃金実態をもって、国連へ直訴しました。
それは1991年の夏の事でした。
「草の根グループの女性がこのように直接国連に来られたのは初めてです。非常に深い感銘を覚えました」と担当者の言葉。彼女は、私たちの実態報告を、次回(1994年)の審議会にて、NGOのカウンターレポートとして委員に配布する事を約束してくれました。
1994年、CEDAWの第2回審議会の傍聴参加に、住友メーカーの元原告たち4名を含む8名が、雪の降るニューヨークに飛びました。働く女性と弁護士で作成したカウンターレポート「日本からの手紙」は大好評でした。彼女たちは、CEDAW委員たちや国連公使から大歓迎をうけ、そのことが裁判をする決意に発展しました。世界の女性たちから熱いエールをもらった住友化学の元原告の矢谷康子さんは、「裁判は勝っても負けても私たちの勝ち。負けたら、会社が世界中から笑われるだけ」と名言を残しました。1999年には、国際女性の地位協会のサポートにて、IWRAW(国際女性の権利監視協会)で西村かつみさんが講演する機会を得ました。
第3回目の日本政府審議会は2003年7月でした。同年2月に、CEDAWが日本政府むけに質問書を作成する作業部会が開催されました。
高裁に控訴中であった住友メーカー原告とWWNは、国連本部に出向き「雇用管理区分」「間接差別」など問題点をアピールしました。
そして、7月にニューヨークで開催された日本レポート審議会には、57人も日本から傍聴者が参加して話題を呼びました。JNNC(日本女性差別撤廃条約NGOネットワーク)のサポートによって、住友電工の西村かつみさんと住友化学の石田絹子さんが、CEDAW委員と日本政府代表が居並ぶ本会議の場で数分間の発言を行うことができました。
さらに、CEDAW委員のショップ・シリングさんへのWWN独自のロビイング活動が成功したのです。「コース別は間接差別ではないかとILOも懸念している。指針の雇用管理区分が差別の根源」とILO個別意見(2003年)の野村證券裁判を事例にした英語版を示して彼女に必死で訴えました。翌日、日本政府高官が居並ぶ審議会で、凛としたショップ・シリングさんの声が会場に響きわたりました。「コース別人事制度およびパートタイム労働者に圧倒的に女性が多い現状は間接差別にあたる」「異なった雇用管理区分のカテゴリーを均等法の指針が許容しているのは問題」と意見を述べました。傍聴席にいた私は、思わず鳥肌が立つ思いでした。その時の感動は今でも鮮明です。
国連本会議で報告する西村さんと石田さん |
CEDAW審議会から帰国直後、西村かつみさんに高裁において本人尋問の機会がありました。
西村さんは、裁判官にむけ、「CEDAW本会議にて住友裁判のことを発言してきました。この裁判は、国際的にも注目されています」と意見を述べました。CEDAW最終コメントは、8月末に出されたので、追加資料として、弁護士から裁判官に提出しました。
2003年12月24日、西村さんと白藤さんは大きなクリスマスプレゼントを受けとりました。高裁の井垣裁判長から和解勧告提案があったのです。国際社会の変化をうけた和解勧告をもって、被告の国と会社、原告は和解し、2人の原告は、課長職へ昇進しました。
この解決を機にして、住友化学、住友金属や他の男女賃金差別裁判(兼松事件は現在係争中)も次々と勝利和解していきました。NGOの声に耳を傾けてくれたCEDAW委員がいたこと、国際情勢に機敏な裁判官がいたこと、素晴らしい弁護士がいたこと、そして何よりも原告自らが活動したことがミラクルを生み出しました。