ある新聞記者のおはなし
働く女性の教養講座
「新聞記者になった」
—ある新聞記者のおはなし—
石田絹子
大手新聞社の記者M氏はニューヨークでの取材を終えて前夜、帰国したばかり。当日の朝4時までかけて記事を書き上げ、わずかしか寝ていないという状態で来られました。
新聞記者の場合、個人としてでも、社外で話したことは、会社の主張ととられることがあり、社名と名前を出すことを会社に届けると、話す内容に制限をかけざるをえないということもあって、今日は「某紙」の「M氏」ということでお話を聞きました。
新聞社によっては、比較的自由に記者が名前を出して話しているケースもあり、その対応は社によって別れるそうですが、M氏はなぜ、本当に話したいことと社論が一致しないのに、その新聞社に在籍し続けるのか。M氏によれば、フランスの言い回しに「心は左に、財布は右のポケットに」という表現があるとのこと。確かに心臓は体の左にありますね。
多くのフランス人は、内心は「左」に置く、つまり左翼に同情しながらも、お金は右翼的な経済システムから得る。右翼政権を支持する大企業管理職も、本心では学生時代のまま左翼であることもある。面従腹背?いや、それが人生、セ・ラ・ヴィというのだそうです。友に問われた時は、僕もその言葉を使って説明しています、とM氏。
フランスは1968年の5月革命で、左翼の学生だけでなく、労働者も立ち上がってゼネストになり全土がマヒ状態になった直後、総選挙が行われ、世界中がフランスでは左翼が勝つものと思って注視していたのだけれど、ふたを開けてみれば、右翼のドゴールが圧勝しました。ハートで5月革命を闘ったけれど、経済のことを考えると、ここは右のポケットにと一票を投じたのでしょう、と解説されました。
なぜ新聞記者になったか。大学を出る時は、第2次オイルショック後の就職難の時代でした。一般企業の募集はないし、教師になるかマスコミか、と考えながら、卒業旅行でフランスに行ったそうです。パリのポンピドーセンターではちょうど、サルトル展を開催中で、エントランスの吹き抜けのスペースの天井あたり、30mくらいもあっただろうかという電光掲示板にサルトルの「La presse est la littéraires du XXème siècle.(新聞は20世紀の文学である)」という言葉が流れていたそうです。就職が無理なら、いっそ、詩や小説を書いて生きていこうかと、ぼんやり考えていた時に、その言葉、新聞こそが今の時代の文学だと、それはまさに頭上から降ってきた、神様ならぬサルトルの「天啓」だったそうです。
<M氏に「天啓」を与えたサルトル氏>
ところで、日本では「プレス」の意味が軽く、あいまいに使われているそうです。例えば、日本国憲法の「出版の自由」の英語原文は「Press Freedom」なのですが、本当なら「新聞の自由」、あるいは「報道の自由」と邦訳するべきだった。これを「出版」と訳したばっかりに、権力者に自由に取材する権利が認められないといった事態も生じているのだそうです。右も左も、日本も海外も、軽いフットワークで、しかし鋭く的を射抜くような記事を書いていきたい、まあ、でも、いつも泥縄なんですよね、と、はにかみながら語られました。